ホテル・交通   |   観光地インデックス   |   お買い物ガイド   |   コラム

現地時刻:2019/10/23 13時06分

トップ > 旅する  > コラム  > ベトナムはローカルバスに乗って  > チャウドック――戦友よ

2006年11月14日

チャウドック――戦友よ

話がちがう
 ホテルをチェックアウトするとき、僕はちょっとした問答を起こした。前夜、チャウドック行きのミニバスが市中心部から出ていると請け合った当人が、そのバス会社に電話までしてくれたはいいものの、「チャウドック行きはない」と言うのである。

「話がちがう」と思っても仕方がない。以前はあったのになくなってしまったのかもしれないし、そうではなくレセプションの青年が最初から勘違いしていたのかもしれない。
「バスターミナルに行けば、そこからロンスエン(Long Xuen)行きが出ている。ロンスエンからチャウドック行きに乗り換えだよ」
「バスターミナルは徒歩で行けるのかな」僕は一応尋ねる。

 徒歩では無理でバスに乗るかバイクタクシーだというのが返事だった。市内を走るバスに乗って橋の近くで降りるとすぐだ――そんなことを言われても橋がどの橋なのか、運河が網の目に似て走るキエンザン省では無数にあるだろうから見当はつけられない。

 僕はバイクタクシーを選択した。レセプションの青年は外にいた1人に声をかけて、主旨を説明してくれる。僕も同じことを再度言う。「バスターミナルに。チャウドックに行きたいのです。大丈夫ですか」
「大丈夫、大丈夫」と胸を張られても不安にならざるを得ないのが、バイクタクシーの乗客というものである。

過激派スタイル
「この道、間違っています。本当に正しいですか?」と確信もないまま注意を促す。走り始めてだいぶたったのにバスターミナルに到着しないのである。
 するとドライバーも「俺もそう思っていた」と言うようになずき、何度も行ったり来たりしてからようやくバスターミナルに入る。広大なサッカー場を思わせる敷地内に、大小新旧入り乱れてバスが居並ぶ。曇天下、じっと我慢するようなバスたち。

 チャウドック行きの中型バスを見つけると、丸顔の人のよさそうなドライバーが「さあ乗れよ」と両腕を開くが、切符を買いたい。この期に及んで吹っかけられるのだけは嫌なのである。
「切符を買いますよ」
「金を乗ってから払うのでいい」そうドライバーは言う。
「でも切符を買います」
 切符売り場に出向くと、ひとりの中年女が白い布で口を覆う過激派スタイルで僕を迎える。彼女は僕を一瞥しながらも、札束を数えることに余念がない。
「チャウドックね!」
「はい」

エイズ教育看板
 チャウドックへ向かう国道80号線はずっと運河沿いに走るのだが、これがタンヒエップ(Tan Hiep)の市街を通過する頃だったか、いきなりそれは始まったのである。巨大な看板の類はベトナムでは珍しくないものの、この80号線で目撃したそれらは何か人間の根源的不安を煽った。

  「コンドームを着用しましょう」
  「安全なセックスをしましょう」
  「母子感染があります」
  「コンドームを着用すればOKです」

 だいたいこういった意味のことを大書した看板ばかりが約50メートル間隔で続くのである。
 コンドームが擬人化され、にこやかに微笑むもの。
 無表情な男女が少しの愛情も感じさせずに絡み合う構図。
 胎児が悪魔の影に侵されつつあるもの。

 その他いろいろあるが、いずれの絵柄にもおぞましい創意工夫が凝らされている。

 病気の恐ろしさについてはさまざまの情報から僕も知ってはいる。だが改めて看板で教えられると――それが一定間隔で迫ってくる――なれば、どうも恐ろしさを通り越して、珍妙な気持ちになる。作り手側とすれば真剣そのものなのだろうが、見る側にとってそれが必ずしも真実味を帯びないというのは何となく皮肉である。

「AIDS/HIV撲滅プロパガンダ街道」は晴天のメコンデルタに映え、僕の視界から遠ざかって行った。
 ロンスエンを経由してチャウドックに向かうと、メコンデルタ本来の豊穣さが緑平らかな水田に見られるようになる。カマウの荒れた湿地帯とはまた趣が変わったのである。空には肉体労働者の力瘤に似た膨らみの雲があって気持ちいい。日本では夏休みの風景だ。

チャウドックの夕刻。日本の夏を思わせる雲が美しい
チャウドックの夕刻。日本の夏を思わせる雲が美しい
法外な料金

 アンザン(An Giang)省の省都チャウドックは、カンボジアの国境に近い。街はメコン川の一支流に面してある。市街地の中心に商品を高々と積み上げて蒸し暑い市場があり、それを囲むように仏領期から建物が集中する。
 漢字の看板を掲げる店舗が目立つのは、メコンデルタの米の集散を一手に引き受ける華僑が、同地帯第一の収穫量を誇るというアンザン省に古くから定着してきたからではないだろうか。

 華僑の商魂はじつにたくましい。たった15分のインターネット使用に5000ドンという法外な料金を請求してきた華僑の店主にそれを感じたのである。

 参考までに書くと、ホーチミン市で外国人旅行者が頻繁に利用する割高なところでも1時間6000ドンが相場なのだ。
「いや、これは高いですね」僕は諦めの境地で言った。
「ははは」華僑は笑って手を差し出した。

 僕は無力に1万ドンを出し、釣りを受け取った次第である。
 チャウドック市街の西方にはサム(Sam)山という信仰を集める山がある。ベトナム南部の山岳信仰の聖地ということである。夕暮れになると行き交うバイクのライトが長く伸びる先にその山が見える。山の縁は淡い橙色になって揺ぎない。岩山だからなかなか威厳がある。ベトナム戦争中の豪が今も残るそうだ。

健脚の証明
 到着の翌日、僕は泊まったホテルで「警視庁四谷署」と防犯登録シールの張られた自転車を借り、サム山まで出かけた。白い青在の裾をひらひら翻してのんびり行く女子学生を追い抜いて――と行きたいところだったが、彼女らは意想外に速いのである。

 みんな自転車通学で鍛え上げられているから、一定速度でついついと進んでしまう。会社員時代片道7キロを自転車通勤していた僕でも次々と抜かれてしまう。予選落ち必至の陸上選手とはこんな気持ちであったか――得心がいくくらいに無様な漕ぎっぷりになってしまった。

 ホーチミン市で「ああ、さわやかーであでやかー」と眺めていた女子学生も、じつは並々ならぬ健脚の持ち主なのであろう。
 リヤカーの前部に自転車を付けた乗り物がチャウドックでは使われており、漕ぎ手はたいてい壮年以上の男性、老人も混じるのだが、彼らもまた僕を涼しい顔で追い抜くのだ。荷台の部分に子供を二、三人乗せていても快走を続けるのだ。
 そういうわけでサム山行きはどうにも格好のつかないものになってしまった。

チャウドック郊外、サム山を遠望する
チャウドック郊外、サム山を遠望する
祭りの前

 山の周辺にはNha Nghi、Nha Troが集中し、門前市を成すといったところだ。事実、僕が訪れた日から数日すれば、年1回、旧暦の4月23日から27日の間、この山の麓にあるバー・チュアスー廟(Mieu Ba Chua Xu)では法要祭が行われる。本式に祭りは始まっていないものの、大型バスが何台も出入りして人出はかなりのものである。

 食堂ばかりがずらずら並び、肉を焼く香ばしいにおいが漂い、浮かれた感じの団体客が大挙してあちこち動き回るから、自転車での通行は至難である。廟そのものの周辺は線香の煙で白くかすんでいるようだった。

 僕は道路に沿って山の麓を周回した。廟のある地点から離れればすぐに人気は薄れる。ぽつぽつと茶店と呼ぶにふさわしいつつましい木造に葉で屋根を葺いた店が並び、未舗装路の端では肉や野菜をしゃがんで売り買いする人たちが見られる。

 アンザン省のクメール人口は多いそうだが、こういうところでクロマーという格子縞の布を頭に巻いている女性を見る。彼女らはクメール人なのだろう。

「ヘロウ」と恥ずかしげに声をかけてくる子供たちが数人、いたりする。
「ヘロウ」と軒先で言っては家のなかに入ってしまうのである。

チャウドックの街中で見た光景。ざるに入れた米を扱っていた
チャウドックの街中で見た光景。ざるに入れた米を扱っていた

 このあたりはチャウドックから半日観光でやって来る外国人旅行者もいるのだろう。だから英語で外国人に話しかける習慣も出来上がったのだろう。
「いやあ、僕は日本人だからなー」などと思いつつ、手を振る。
「チャオ」
「きゃはははは」
 

戦友よ
 山肌にはトーチカ跡などもある。漕ぎ疲れて公園のようなところで自転車を止める。公園と書いたが、よく整備されていて丈の低い樹木の並ぶ階段の上には石碑がある。見上げる僕に話しかけてきた老人は、南部では珍しく緑色のヘルメットをかぶっている。手に持つのは巨大な剪定用の鋏である。

「こんにちは」で始まった会話からわかったのは、老人が北部出身であり、南の戦場で戦死した人々を追悼するためにここチャウドック郊外のサム山にある烈士鎮魂の公園で戦友のために働いているのだ。

「66歳だよ」と日焼けした顔を小さく緩める彼は、では30年前36歳だったのだ。

 確認すると、「兵士だった」との返事である。北から南へ潜入して戦い、そのまま居着いたのだろうか。バンメトートのトアンさん、プレイクのタインさんと会ってきたが、実際あの戦争で同国人が戦い、多くの人が動いたわけだ。

 そういう距離と時間の流れを僕は思わずにはいられない。
 大東亜戦争終結後、高度経済成長を遂げた日本から、かつての将兵が遺骨収集と慰霊を目的に広大なアジアの方々に出向いた。死ぬ危険に曝された土地を、生き残った人は一度でいいから見たいと思うものらしい。またその土地に死んで残った仲間、戦友なる人たちを思う気持ちはいつまでも絶えないものなのだろう。

ベトナム現代史
「毎日、ここに来ている」そう老人は言った。ベトナムの公園には珍しくゴミも少なく、よく整備されている印象だ。これも戦友を思う老兵がいてのことだろう。こういう美談めいた想像を特別に排除する必要もないのだが、「南部解放・統一」の歴史を政府公式見解敵に堅持するこの国では、この種の施設の維持に応分の予算を割いているのは間違いない。

 その資金があってこその整備なのだと考えるのは、外国人旅行者として正常な反応と思いたい。何もベトナム政府の知らしめようとするものばかりを持ち帰っても仕方がない。ハノイのホー・チ・ミン廟に始まり、各省に設置された大小のホー・チ・ミン博物館がそれを証明すると思う。

 歴史博物館の類では必ず「南部解放・統一」の物語に沿ってベトナム近代・現代が語られる。この物語のなかだけでとどまるなら、南北の旅行もさして意味がなくなる――僕は「昼休みだから」と自転車に乗って遠ざかる老兵の背中を見ながら、「勝利した国」の事情というものを考えてみた。

チャウドックにはハーティエンに流れるヴィンテー運河がある
チャウドックにはハーティエンに流れるヴィンテー運河がある
 腹が空いたので、公園の前でぼんやりしていたバンミー屋で蝉の抜け殻のように乾き切ったバンミーを2本、買って食べた。近くの小学校から子供たちの高くて踊るような声が届いた。チャウドック市街への帰途、寄り道して水田のなかの一本道を走る。アヒルの群れが水路を埋め尽くし、遠くには盛り上がった墓が数基、見えた。

 それは物悲しく孤独で、子供のころ夏休みの終わりに見たような空の雲の大きさと相俟って僕をある種の空虚で満たした。
(明日にはもうホーチミン市だ。旅行も全部おしまいか)
 翌日の朝、僕はエアコンの効いたミニバスで、ベトナムで最初に僕を迎えてくれた街、ホーチミン市に帰った。


チャウドック宿泊データ
名前:Vinh Phuoc
料金:5ドル
部屋の広さ:四畳半弱
設備:エアコンなし。扇風機。温水シャワー
レセプション:ホーチミン市のツアーオフィスと提携している
一言:自転車の空気があまり入っていなかった

(VietnamGuide.com)

このページを友人に知らせる

記事一覧

ラックジャー(Rach Gia)――スターバックス! ( 2006/11/13 )

カマウ(Ca Mau)――少年たちの後方宙返り ( 2006/11/13 )

バクリュウ(Bac Lieu)――金玉満堂 ( 2006/11/11 )

ソクチャン(Soc Trang)――死ぬまで生きる豚 ( 2006/11/11 )

ヴィンロン(Vinh Long)――苦悶する男 ( 2006/11/10 )

ホアビン(Hoa Binh)――「少数民族」に会うために ( 2006/11/10 )

タムダオ(Tam Dao)――豪奢な避暑地 ( 2006/11/09 )

ヴィエッチー(Viet Tri)――牛車とお祭り騒ぎ ( 2006/11/09 )

トゥエンクワン(Tuyen Quang)――家に帰る老婆 ( 2006/11/08 )

バッカン(Bac Kan)――50円玉の水 ( 2006/11/08 )

  カテゴリ

  ベトナム最新情報
ベンタイン市場で大量の偽造品発見
モデルバスの路線を拡大
国内初のパイロット訓練センター、まもなく稼働
空港セキュリティ強化、監視カメラ増設
南部解放記念日、ホーチミン市内2カ所で花火
ベトナム人の飲酒、男性78%、女性22%
タクシーのナンバープレート、黄色への変更を提案

  スポンサーサイト

  注目の話題

  Promotion
広告募集

© 2006 VietnamGuide.com. All Rights Reserved