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2006年11月13日

カマウ(Ca Mau)――少年たちの後方宙返り

男たちのサイン
 この日、カマウ行きのミニバスに乗り、改めて運転手たちがやる「サイン」について考えさせられた。

 親しい仲間同士だけでやるのが「サイン」である。当初僕は、あれが対向車に対し、主にジャンケンでやる「パー」を出して「挨拶」をするものだと理解していた。トゥイホアからプレイクに向かうときも、運転手のハン――「これがベトナムだよっ」と叫んだ――が忙しく同様のことをやっていた。僕はたかが挨拶、何度もやるよなと呆れたのだった。

 だが今回の運転手を観察しているとどうも具合が違うようなのである。彼は「チョキ」をやってから、そのまま後方を示すのである。相手の運転手は「パー」で返事をする――

 僕は道中を改めて反省してみた。途中で警察の取り締まりがあった。「チョキ」はそれを連絡するものであり、「パー」は了解の意ではないだろうか。これらの他に路面を指で示し、「工事中」「悪路」といった路面情報を伝えるときもあった(と思う)。

(しかしこれでは警察のやることなどほとんど役に立たなくなるなあ)
 同業者間で情報が共有され、自衛に活かされている。だから交通関係の取り締まりが所期の目的を達しているかどうか疑わしい。少なくとも効果が減じられていることは確かだろう。

 僕は独立戦争時のベトミンや南ベトナム解放民族戦線のゲリラがジャンケンを使って情報伝達に勤しむところを想像した。
 外国の軍隊やよそ者(同じベトナム人でも別の土地から来ている場合)には決して理解できない仲間内のサインがあるのだろう。親密で法や権力をも無視したつながりが、この国には伝統的に根強く存在しているのだろう。
「チョキ」
「パー」
「チョキ」
「パー」

 一見原始的な遣り取りではある。それでもこの高度情報化の時代にあって強力な武器たりえている。軽視してはいけないサインなのである。証券取引所の人たちも、そんなのを使っていた気がする。

カマウ中心部には運河が張り巡らされている
カマウ中心部には運河が張り巡らされている
花盛りの看板

 カマウ省はエビ養殖で有名であり、近年では南端のカマウ岬における養殖事業の進展により、大規模なマングローブ原生林の破壊が起こっている――僕がカマウについて知ったのは、このような概説的なところだけである。だからバスを降りたとき、どこへ行けばいいかもわからなかったし、地図も持っていなかった。

 とりあえずバスターミナルから「郵便局へ」と言って到着したところに大きなロータリーがある。ロータリーを囲んで「社会主義国家建設へ前進」「エイズ対策にコンドーム」といったプロパガンダの看板が並ぶ。花盛りといったところである。

 街区は放射状に設計はされているようだ。この郵便局の近辺に官庁の建物が緑のなかに静かに沈んでいる。ロータリーから歩いて5分ほどのところに運河が交差点をなしており、一般的な市街地はこちらを基点に形成されている。

親切なレセプション
 ロータリー近くにKhach Sanが漢字併記の看板を掲げて立ち並ぶ一角を見る。そのうちの一軒に泊まることにした。レセプションの女性が親切に見えたからであり、この根拠のない予感は当たった。カマウ発の交通について僕が尋ねると、レセプションから身を乗り出して聞いてくれるのである。
「ナムカン(Nam Can)とウーミン(U Minh)に行きたいのね」
「バスはありますかね」
「ないと思うけれど」
「……」
「じゃあ調べましょう」

市場の喧嘩
 船便がそれぞれにあることがわかった。
「船、ちゃんとあるのよ」
 丁寧に出発時刻と料金を記した紙を、部屋でシャワーを浴び終えた僕に渡してくる。
「明日の朝、出かけるときに言ってちょうだい。船着場にはバイクタクシーで行くのよ。いい?」
「はい」まるで子供扱いである。僕は照れ隠しに笑って外へ出た。

 ホテルと通りを挟んで「スーパー・ホテル」という名のKhach Sanがある。見上げるほどの高さで威容を誇る。名称は「スーパー」なホテルというのでなく、ただ下の階がスーパーマーケットになっているのだ。このホテルの横を抜けると、Karaokeばかりが左右に並ぶ珍妙な路地に至る。

 ここを出ると運河を背にした市場となる。
 市場といってもテニスコート2面分ほど敷地に大きな屋根をかぶせ、その下で思い思いに商いをするのである。川魚ばかりか海魚も混じっているらしく、ここがベトナム最南端の省であることを教えてくれる。太平洋の大海原もそう遠くない。

「○△×◇!」
「☆▽?」
 意味不明の怒号が上がった。僕は「すわ、始まった」とばかりに怒号の方へ近づいた。見る間に市場中の人々が密集し、黒々とうごめく。中心にいるのは互いの頭髪を引っつかむ若い男女だった。彼らは口汚く罵り合っている。周囲もそれぞれに同調して叫ぶ。騒動である。

 しばらくその状態がつづくと、群衆のなかから1人、中年男が間に入り、懸命さゆえに滑稽なレフェリーのように両手を広げた。見物人たちは次第にニヤニヤと笑いを見せるようになり、じきに解散してしまった。引き離された2人は30メートルほどの距離をおいて、長く怒鳴り合っていた。生ものを横目に喧嘩なんて相当生臭い気もするが、それでいいのだろう。

 北部のバクザン省では包丁を持ち出して走り回る男を見た。南部でも喧嘩好きのベトナム人は多いようである。

 夕方になるとカマウには大雨が降り、粉塵凄まじい街路や木々は一斉に洗い清められ、西日は美しく最後の光を放った。

潮州人の墓地
 ナムカンを地図帳で見ると、中国との国境に接するドンダンに北端を持つ国道1号線が、ここで南端に到達しているのである。ある国の南北を見ることができるとは何と贅沢なことか――勇躍して乗り込んだスピードボート、これはラックタウ(Rach Tau)という大洋に面した町まで行くらしい。

 船着場には各方面への船が集まっていて、船首には立て札があり、行き先と料金、出航時刻が丁寧にも記されている。バスよりも信頼できるような気がする。

 出航まで約1時間を残していたが、中規模の船は客でほとんどの席が埋まっていた。出入りを繰り返す物売りはガム、煙草、茶、パン、CDなどをそれぞれ商う。彼らは客の隣の空席を見つけると、腰を下ろして一息つきつつ、セールスに励む。

カマウにある潮州人の墓地。かなり大規模
カマウにある潮州人の墓地。かなり大規模
 僕は窓外に見える広東人の墓地を見た。この南端の地を開拓した魂の群れ集う場所である。さらにはバクリエウのナム氏と同じ潮州人の墓地も、船着場の近くにあった。いずれもつくられたのが19世紀末と門に彫られていた。
 出航するとすぐ、水上マーケットに出会う。竹竿に商品を結び、船そのものはゆらゆらしている。

水上交通
 僕の隣の青年もナムカンに向かうようだった。
「ナムカンに家があるのか」彼は僕にそう尋ねる。まさかそんなことはあるものかと言下に否定する。
「見物に行くんです」

すべての町は、川に向かって開ける。ナムカンにつながる川にて
すべての町は、川に向かって開ける。ナムカンにつながる川にて
 船はときおり速度を落として接岸し、客を降ろしてまた新たに乗せる。このあたりで見る町はいずれも川とともにある。ガソリンスタンドの商売相手はボートである。だから給油のためのスタンドは背後のわびしい道路でなく川に面している。
 商店で飼われる犬も陸に対してでなく、川から来る船を睨み、ときに吠える。

 水上交通という言葉を実感したのは列をなして近づいて来るのを見たときのことだ。
 歴史教科書の記述で「?川の水運を利用してつくられたこの都市は――」というのがある。これはつまり飛行機も自動車もない時代、船こそが人と物資の大量輸送を可能にする唯一の交通機関だったからなのだ。

 これは珍しくもない事実であり、30歳までそう遠くない大の大人がわざわざ見つけるべき事柄でもない。だから恥を忍んで、僕は自分の眼で見て感じた喜びをここに記す。
 水上交通なくして都市などつくれない。これが当たり前だったのだ。活字で記述されたものを、実感として得る再確認の作業、これが旅行の効用のひとつなのだろう。

 東京(いや、江戸か)もまた隅田川などの水運を大いに利用して成立した聞くが、鉄道とモータリゼーションの時代が過ぎて水の風景も消えてしまったのだ。

「上り下りの船人が」そう歌われた水の上に働く人たちは激減したのだろう。鉄道と自動車の現代における優位は、高速道路の下で日陰者となった日本橋を見ればわかることである。

終わりはいずこ
 対向する船と行き違うときには波がぶつかりあう。その飛沫が船室にまで及ぶ。そのたびに歓声とも思える声が上がる。
「ひゃあ」
「ほうぅ」
 一度だけ、窓を閉め遅れた一部の乗客がずぶ濡れになった。飛沫というよりも波がまともに入り込んだのだった。僕も少しだけ水に濡れ、じきに濡れた肌から塩が析出された。汗のせいではないから、このあたりの水が塩分を一定程度含んでいるということなのだろう。海はやはり近い。

船は行く
メコンの終わり
空晴れて
繁る緑に
泥色の水

 暇に飽いてこんな「歌」を恥ずかしげもなく詠んでみるうちにナムカンへ到着。出発から所要約2時間だった。

ナムカンの街並み。泥色の川を船が行き来する
ナムカンの街並み。泥色の川を船が行き来する
 対岸には人をまったく見ない船着場を出て歩く。川に沿って細い路地が続く。ここに並ぶ商店街が町の中心となるようだ。Nha Troだけでなく、Khach Sanもあるから、人の出入りは多いところなのだろう。泊まろうと思えば外国人でも問題なく出来そうである。カフェ、修理工場、雑貨屋を見ながら国道1号線に赴く。

 往来を眺める。バイクの量はゆっくり数えられるほどである。国道1号線の終点と思しきは、ナムカン郵便局の前にある三叉路である。ここを基点として分かれる道路はもはや国道の風格など皆無だ。

草サッカー観戦
 僕はラックタウへ向かう川の前にある古ぼけた競技場の隅でカントー産のオレンジ炭酸ジュースを飲んだ。
 店の女主人は、今日の晩に歌手のドサ回りコンサートがここで開かれることを教えてくれた。見ると近くの壁にポスターが貼られている(余談だが、同じポスターで開催地のみ違うものを、翌日訪れたウーミンで見ることになった)。コンサートを目当てに昼間から路上カフェを設置し、同じく隣で開店している少女と世間話に興じるのだった。

「独身でしょう」
「まあ、そんなもんです」
「結婚しなさいよ、日本にそれから帰りなさいよ」
 ずいぶん強引にやられたもので、僕はいつの間にか少女の婿候補筆頭に祭り上げられてしまった。しかし会話はそれで途切れた。競技場で跳ね回る少年たちが気になり始めたからである。

 彼らは起伏の激しい土のグラウンドでサッカーボールを蹴り回していた。彼らのうちの1人は、ペナルティ・キックになるとその場でズボンを下げ、仲間がゴールのどこかへ狙いを定めようと真剣に思案する最中、小便を垂れるのである。こういう無法なサッカーもまたあっていいのだろう。草サッカーと呼ぶにはあまりにいい加減で微笑ましい。

少年たちの後方宙返り
 休み休みの散歩を終えて船着場に戻ると、上陸時に声をかけてきた子供たちがまだ遊んでいた。
「アチョー」
「ファー」
 こういう奇声を発して両手両足を振り回す。彼らは僕を香港人だと思い、またブルース・リーの縁者か何かと勘違いしているからだろう。

 ときどき僧侶のように手を合わせて頭を下げてくる子供もいるからおかしい。コーヒーを飲みながら船を待っていると、子供たちの遊びがじつに自由であり、危険を顧みないものであることに気づく。

 それは、2人の少年がラックタウ行きの船の屋根に乗ったまま出航時にも降りなかったときのことである。のろのろと船着場を離れる船とこっちに手を振る彼らを僕は漫然と見ていた。

(あれはラックタウまで行くというのだろうか)
 僕が想像する間にも船は遠ざかる。すると彼らは屋根の上で飛び跳ねて勢いをつけ、順序よく後方宙返りを決めて泥色の川に飛び込んだ。
 飛沫のほとんど上がらない、たいへん立派な高飛び込みだった。彼ら自身もそれを誇りとするらしく、僕の方へ手を振りながら、あっぷあっぷと下手な泳ぎで船着場に戻るのだった。

ナムカン行きの船が出る船着場
ナムカン行きの船が出る船着場
 僕は呆気に取られていた。小型ボートの疾走する川に飛び込む勇気もそうだが、川にはつい先刻、幼児が母親に抱えられて大小便を放っていたからである。彼らにとっては衛生とか安全を気にするような遊びは遊びではないのだろう。

サンマ型の船
 ホテルのエアコンつきの部屋は快適で、申し訳ないくらいによく眠ることが出来た。翌朝あまりのんびりし過ぎてもと思いレセプションに降りると、「今日はウーミンね」と先制される。
「船で行きます」
「バスもあったのよ。バスにするかしら」
「いえ、船で」

 僕はまたバイクタクシーに乗って昨日とは別の船着場に連れて行かれた。ホーチミン市でも北へはミエンドン・バスターミナル、南へはミエンタイ・バスターミナルといったように行き先別で分かれている。船も事情は同じらしい。
 水の腐ったようなにおいのする船着場に到着。ウーミン行きは8時半発である。もう時間がない。

「早く乗りなさいよ」と中年女がせかす。彼女が料金回収係らしい。
「ウーミンまでいくら」
「8000ドン」
 スロウボートなら55キロという距離からして妥当な額だろう。
 昨日のスピードボートとは異なり、巨大なサンマに似た木製の船である。時間はかかるだろうと迷うものの、待つのも退屈だった。コの字を伏せた格好で鉄の枠を船体にかけ、そこにビニルシートをかぶせて屋根とするのがこの種の船である。過積載で左舷に傾いでいるのはご愛嬌か。

 乗り込むと、内部の椅子の簡素さに気づく。進行方向に対し直角に渡された木の板で代用されており、自在に取り外しできるのだ。本当にローカル船である。

水上アイスクリーム屋
 晴天下、出航する。混雑した船内はビニルシート越しに蒸し焼きにされる感じである。ある母親は幼い娘に船内での排尿を許し、きゃきゃと笑っていた。僕はちょっぴり目のやり場に困った。

 ウーミンまで人影をほとんど見ない景色が両岸に続いた。水の色は泥色というより芥子色に近い。これは岸辺の緑の色を映し込んでいるからかもしれない。急がず進む船の旅は、木の板が尻に痛い。メコンデルタの最果てを尻に感じるようで楽しいことに変わりはない。

 水上アイスクリーム屋をこの移動中、初めて見た。
 これまで流しのアイスクリーム屋なら何度も見てきた。自転車に鈴を持つスタイルだ。ところがメコンデルタの外れでは、道路を走るのでなく、水の上を走る――これが常識なのだ。彼は櫂を握る手に鈴を持ち、ゆっくりゆっくり流す。親子の乗った小船が彼の方へと近づくのが見えた。

ウーミン粗描
降雨のなかのウーミン
降雨のなかのウーミン
 ウーミンの町はひとつの大きな橋の前後200メートル程が中心となっている。右岸に商店、左岸に庁舎や学校が集まる。有名な「ウーミンの森」は仏領期から開発に取り残されたそうで、それというのも一帯が腐植土を含む悪水がクリークを縦横に流れているからだ。いわゆるメコンデルタの豊かさとはまた別の土地柄であるらしい。

 幅2メートルに満たない細い通りに沿ってトタン屋根の商店街が短く続く。こんなにひなびたところでも貴金属店があるから奇怪だ。それも大量の金が日光にどぎつく光るのだからたまらない。おそらくエビ養殖で設けた金を注ぎ込む人が多いのだろう。

 商店街を抜けると今度は養殖エビ問屋が並ぶ。看板にエビ反りになった活きのいいエビを描き、なかでは氷の詰め込まれた発泡スチロールの箱が並ぶ。そこへ横付けされた船からエビがわんさと放られるのだ。

エビとビリヤード
「えっさほいさ」ではないが、調子をつけて働く男たちの上半身は裸だ。彼らは一汗流すと近くのビリヤード屋で玉を突く。エビとビリヤードの取り合わせはなかなかいいらしい。ハンモックに入って凄まじい速度で――悪酔いしそうだ――揺る者もいて、ウーミンの昼日中は緩やかな時間に浸っている印象である。

日が照ると白くなるウーミン
日が照ると白くなるウーミン
 町から外に出ると背丈以上もあるススキに似た草の繁る野原となる。遠く近くに荒れた畑を見る。運河が細かく流れ、濁った水の上を音もなく滑る小船がある。静寂が過ぎて風に草が鳴る音まで騒々しく聞こえる。
 ベトナムの南端は、かくも静かなところだった。

 カマウへ帰ろうかという頃になって雨が降り出した。積乱雲が暗く空を覆ったと気づくやすぐに豪雨となる。水面を白くするほどの強い降り方である。
「船か。船はな、日本人は50000ドンだっ」と囃し立てる性悪バイクタクシー・ドライバーを振り切ってカマウ行きの船に乗る。乗客は身を固めてじっとしたままで、汗を体中に光らせていた。
 雨はカマウに着くまでずっと降っていた。旅情が消える程に、次第に寒くなった。


カマウ宿泊データ
名前:Hai Chau
料金:9万ドン
部屋の広さ:八畳程度
設備:エアコンあり。冷蔵庫付き。水シャワー
レセプション:方々に問い合わせてくれるなど親切
一言:三日間、エアコンをつけて涼しく過ごせた。テラスからカマウの目抜き通りを見下ろせる

(VietnamGuide.com)

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