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2006年11月11日

バクリュウ(Bac Lieu)――金玉満堂

北を思う
 ソクチャン市街から国道1号線まで歩いて戻り、近くのカフェで朝のコーヒーを啜って待つこと15分、カマウ(Ca Mau)行きのボードを運転席に掲げたメルセデスのミニバスがやって来る。外面はじつに頼もしく清潔であっても、をつかまれ乗り込めば明らかに汚い。

 車掌は「US ARMY」と刺繍の入った暗緑色の帽子をかぶり、長く伸びた爪――肉との間には黒々とした垢――でしきりと鼻の穴を探索するのである。僕に対して「バクリュウなら行くぜ」と言ってくれるのはありがたいが、やや不潔な感がある。
「おい、カマウ行きだっ」彼は窓から頭を突き出して連呼である。

 カントー発のこのバスはソクチャン周辺でも客集めに精を出す。同じところをぐるぐると熱心に回る。次第に増す暑さはエアコンのない車内を耐えがたく暑くし、同乗の老女らはぐったりと体を折っている。

 ソクチャンからバクリュウまで約1時間半、僕は何を見ただろう。

バクリュウ近郊の水路
 視界を遮る丘や山の類のひとつもないデルタの平原、その果てから湧き上がり、こちらに近づくにつれちぎれて点々となり空を漂う雲、火焔を模した形の過剰な装飾で際立つクメール寺院とそこに出入りする少年僧、細い運河に沿って軒を連ねる集落と静かな水面に浮かぶ小船――いずれも北部では見なかった風物である。

宿探しの一般則
 バクリュウの市街にほど近い路上で僕は捨てられた。バスターミナルがあるわけでなし、街が前方の方角にあるのがわかるのみである。バイクタクシー・ドライバーとさんざん値段交渉し、「郵便局へ」と連れて行ってもらう。滞在6カ月を要してようやく僕は悟りつつあった。

バクリュウ市場の前。影がくっきり出る暑い一日
バクリュウ市場の前。影がくっきり出る暑い一日
 つまり街の中心に宿泊したほうが食堂やカフェを探すに苦労しない。その中心というのは郵便局をその一画に持つものなのである。おおむね宿泊施設であるところのKhach San、Nha Nhgi、Nha Troの分布を考えると、第一がまさに核心部、第二がその周縁、第三がバスターミナル付近となっているのだ。

 ところでこのバクリュウでは郵便局から数十メートル、運河をまたぐ往来の激しい橋に近くバクリュウ・ホテルがある。バクリュウ・ツーリストを併設しているところから省が経営に関わっているのだろう。

 建物のみすぼらしさは旧ソ連(行ったことはないが)および旧共産圏がその悪評を諸外国に知らしめた、「国営企業」のイメージにつながる。

 仏頂面の従業員に錆びた“水”の出る温水シャワー――そんなステレオタイプは、悪しき一知半解の産物と自覚しているが、ツーリスト・オフィスを持つようなホテルの料金に納得できるとは思えない。

 橋の左側につづく3、4階建ての商店兼民家の一帯を歩くと、漢字・アルファベット併記の看板がおびただしい。メコンデルタの開発を先んじて行なった華僑の勢力が今もバクリュウの経済活動を支えるようだ。

女物のパンツ
 僕は少しずつ中心から離れながら、折良く見つけたNha Troに入った。
バクリュウの宿の前。左隅に主人がいる
バクリュウの宿の前。左隅に主人がいる
 ここはレセプションらしき場所がない。その代わりに貴金属の陳列ケースがあって、長髪の中年男がいる。「大南旅店」と看板にはあったから、華僑が経営するのであり、彼らの多くが貴金属の取引・販売に従事していることは、ホーチミン市の華人街チョロンを見てもわかることである。そうはいってもNha Troと貴金属店を併営する例には出会ったことがなかったので、少し驚く。

 話してみるとすぐに主人は「自分は中国人だ」と言い出す。
「僕は日本人です」
 こんな単純なことを言いながら、店の奥、日めくりの近くにある料金表を見やる。1人の場合6万ドンとあるのを確認してから部屋を見せてもらうと、「ここは7万ドンだよ」と言われる。
(外国人だからと押し切られるかな)
 弱気になった僕は結局言い値で承諾した。主人はよかったよかったと言う風に大きな笑みを見せて出て行った。

 用を足そうとシャワールーム――3メートル超の天井に対し、2メートル弱の壁で囲っているだけだが――に入ると、洋服をかけるフックになぜか女物のパンツがかかったままだった。

 白のそれは梅干のようにしわくちゃで、どうにも情けない感じだった。だがその情けないというのは誰に向けられるべきなのか。下着を着け忘れて部屋を去ってしまう女性か、それを片付けもしないまま新たに客を迎えた主人か、はたまたシャワールームを見もせずに泊まることを決意した自分か、僕にはわからなかった。

「我是潮州人」
 漢字で書くと廬金南(ルー・ナム・キム)というのが、Nha Troの主人の名前で、彼の体躯はなかなか立派であるが、笑うと乳幼児のような表情になるのが好ましく感じられる。
 華僑とは筆談が可能だ。それを使って足りないベトナム語会話力を補い、話をする。ベトナムに来たからには華僑のたどる途を知りたいという好奇心があった。それを満たすよい機会だと思ったのである。

 改めて尋ねてみると、ナム氏が中国人のなかでも「潮州人」であることがわかった。
「出身」と紙に書けば質問は通じるのだ。

「我是潮州人」これが答えである。
 ナム氏はベトナム語でまず言い、ぼんやりとしか理解できない僕に漢字を書く。「我初面会潮州人」という言葉には、快活な笑いで応じる。こうして進む会話から、現在40歳の彼は7歳のときに家族とともにバクリュウに来たことを知る。

 彼はここで育ち、父親の商売を継いで現在に至っているのだ。姿は見えないが、娘が二人いるそうである。妻らしき人の姿はないから、何らかの事情で男やもめを続けているのだろう。

 しかし移住した年を計算してみると1972年である。これはベトナム戦争終結の3年前である。その後に発生した中国との紛争の影響で華僑はかなり圧迫されたとものの本にはある。これは『ベトナムの事典』に記載されている。そういう時期を、ナム氏一家はどのように過ごしたのか。大過はなかったのだろうが、苦労はあったに違いないのである。

金玉満堂
「ベトナム語よりは潮州語の方が上手に読み書き、会話ができるんだ」とナム氏は言う。
 言葉があってその人の“考え”というのはつくられるものだから、このナム氏が潮州語をより巧みに使える以上、彼は潮州人と自分を同定するのもごく当然のことだろう。

バクリュウ市場近くの通り。何もない印象である
バクリュウ市場近くの通り。何もない印象である
 華僑のアイデンティティとは――などと断じる勇気はない。ただナム氏のような人がその一部をなすことに、僕は不思議と感慨を持った。ベトナムの南端に近い省で貴金属店を営み、自分をベトナム人ではなく、記憶もわずかであろう土地、潮州の人間として人に語るこの人の精神構造とその強さを思ったのである。

バード・ウォッチング
 フランス人作家マルグリット・デュラスの『愛人』には、本文の前に地図のページがあった。その地図は彼女が住んだ南部のそれで、メコンデルタの端のあたりに載ったネームは「鳥の平野」となっていた。ベトナムの地図帳を開き、バクリュウやカマウのページを見れば、鳥のマークがあり、そこが野鳥保護区になっていることがわかる。

 一夜開けて、外に出ようとする僕をナム氏が呼び止めた。食事は済ませたかと言う。
「朝食はいつも食べないのです」僕は答える。
 これに不満なのか、ナム氏は金なら気にするなという意味のことを言い残し、道路を渡り、天秤棒を担いで物を売る女のところへ行ってしまった。戻ってきた彼の手にはおこわ(Xoi)があった。白く甘い皮に包まれたそれは赤米を使っている。

「これを食べるといい」と言うから、いつ金をと求められるのかと思いつつ食べた。代金は不要だった。おごりらしかった。

メコンデルタの田舎
 食べ終えてから郊外の村を見てみたいと相談すると、1時間5万ドンと請け合うバイクタクシー・ドライバーをナム氏が紹介してくれる。

 相場より高めのような気もするが、紹介者の面前で値切れるほど僕の商魂はたくましくない。後部座席におずおずとまたがった僕に「任せろ」とばかりに笑うドライバーは、急発進、一路郊外を目指して速度を上げるのだった。

 バクリュウの郊外を見たい理由は大したものでなく、これまでしてきたように街歩きだけでは物足りないからだった。前日に見た橋を渡り、左折する。すぐに荒れ果てた野原のなかを走る一本道になる。舗装はされているが、大型トラックが1台通ればふさがるような幅員である。

 空が大地を圧する大きさになり、太陽の光は四方八方からどぎつく注ぐ。光が横から来るはずもないのだが、遮るもののない平野にあっては、照り返しがあらゆる方向から集まるのかもしれない。

(何かに似ている)と思って眺めていたのが、クメール寺院である。その塔は鋭く長い巻貝にそっくりで、この寺院以外には風景に起伏をもたらすものはない。低い草とずっと遠くの疎林があるだけである。

「どこへ行くんだ」とドライバーは不審がる。
「鳥のいるところへ」僕は地図帳にあるマークを指差して、野鳥保護区に行ってくれるよう頼んだ。

バード・ウォッチング
 市街地の方角へ引き返し、橋から延びる道を直進する。今度もまた野原を左右に見ながらである。民家もまばらであり、人の少なさを感じる。信号は先刻の橋のあたりで一度見たきりだ。かなり来たところで右折し、運河を渡って進んだところに野鳥保護区の入り口があった。

 門衛の男は暑さを嫌ってか、遺棄された揚水ポンプの空洞部分に入ってギターなぞを爪弾き、歌っていた。来意を告げると、「夕方5時から6時の間がいいね。鳥が家に戻るからたくさん見れる」と彼は言った。

 僕とドライバーは「あっちだ」と門衛が指差した鉄骨の観察塔に上った。ビルの4階くらいの高さになる。ドライバーは高所恐怖症であるらしく、下を頑なに見ないでいる。全方位に広がった視界に丸くなった地球が実感できる。

 野鳥保護区というと、浦安あたりにある整備された公園を想像していた。だがここはどちらかと言えば湿地帯を柵で囲ったに過ぎない気がする。それがまた、広大なメコンデルタにふさわしいのである。

空左半分でゴミのように見えているのがバクリュウの野鳥たち
空左半分でゴミのように見えているのがバクリュウの野鳥たち
 遠く近くに白サギや黒サギと思われる、首の細くて長い鳥が飛び交い、あるものはゆったりと旋回し、別のものは急降下して湿地帯で捕食に励むようだった。

 薄く青い空を背景に彼らは忙しく羽を打ち、滑空し、樹上に休む。ときおり集団で飛び立つから、そのあたりは風で羽毛が散ったように見える。なかなか見飽きないものである。

「水がある。だから餌に困らないんだな。昼間はみんな食べるのに忙しいけれど、夕方には巣に戻る。すごいんだ」
 そんなことをドライバーが説明する。
 バクリュウあたりの土地柄が痩せている(注:周辺は塩性土壌がほとんどだという)から水田の開発も進まず、そのお陰で野鳥の聖域が育まれたのだろう。
 ちなみにバード・ウォッチングは初体験だった。


バクリュウ宿泊データ
名前:Dai Nam
料金:7万ドン
部屋の広さ:四畳半程度
設備:エアコンなし。扇風機。水シャワー
レセプション:高価そうな貴金属品を前に愉快に話せる
一言:窓が大きく、天井も高いため、狭く感じなかった

(VietnamGuide.com)

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