ホテル・交通   |   観光地インデックス   |   お買い物ガイド   |   コラム

現地時刻:2017年04月23日 12時33分

トップ > 旅する  > コラム  > ベトナムはローカルバスに乗って  > バクジャン(Bac Giang)――「日本人じゃない」

2006年11月06日

バクジャン(Bac Giang)――「日本人じゃない」

移動風景
 バクジャン行きのバスが出発する。到着まで所要約1時間、ほぼ全行程でドンダン方面へ向かう鉄道と並走する。

 水田に入って草取りをする女、草地にへたり込むようにして休む牛たちの遠く、ある一軒家は結婚式で華やいでいる。浮き立った感じが車内にも漂うのは日曜日だからだろう。飲み過ぎで顔を真っ赤にしたり、真っ青にしたりした男たちが多い。僕の隣席は後者である。

バクジャン市街に入る直前、鉄道と道路が交差する
バクジャン市街に入る直前、鉄道と道路が交差する
 バクジャンの市街は鉄道・自動車共用の橋を渡ったところから始まる。この橋を流れる川はさほど大きくもないが、砂利やセメントを運搬する船が出入りするのが見えた。鉄道駅が川と国道に挟まれてあり、そこから川と反対側に行くと緑の並木のよく整備された官庁街がある。

 

催淫ポスター(?)
 市街地からかなり離れたバスターミナルから引き返し、泊まる場所を探す。4階、5階建ての細長いビルが並ぶ商店街の一画に、清潔そうな外観の高層のNHA NGHIiがある。

 案内された部屋――ドアは上半分がガラスだ――には、奥の壁に半裸体の金髪男女が絡み合うポスターが貼ってある。バクニンでは男性用避妊具だったが、ここは催淫ポスター(?)というわけだ。設備は申し分ない。タオルやシャンプーも使いきりタイプを置いている。

ホテルから見える風景。どんより曇っていて北部らしい
ホテルから見える風景。どんより曇っていて北部らしい
 外を出るとき、僕は鍵をかけようとしてみた。ところがこれがうまくいかない。ドアノブのポッチを押してからドアを閉めてもかからないのである。仕方がない。外から鍵を差し込んで回した。閉まらない。それどころか鍵が抜けなくなった。慌ててレセプションの青年を呼んで見てもらうが、彼にも始末がつかない。
「大丈夫、あとで直しておくから」そう言ってヤオミンはドアノブごと引き抜いてしまった。

「太りなさいよ」
 最初の晩は近所でフォーと粥を食す。味の素を大量に投入する店であった。
「日本に私を連れてって」と脅迫的な微笑で迫る女主人がいた。
「あなた60キロもないでしょう。もっと食べて太りなさいよ」別の老女が僕の脇腹をつついた。
 部屋に戻って催淫的なポスターを見遣ってから眠った。どうも寝付きが悪かった。

 翌朝は霧雨が降り、視界が悪い。
 大東亜戦争終結後、ベトナムに残留した日本人数名の暮らした町が、バクジャン省にはある。これは確かな情報である。残留し、1954年のジュネーブ協定を受けて日本に帰国した方――サイゴンの高等専門学校、南洋学院の卒業生である――の手記でもそのことを知ることができる。

バクジャン駅前の大通り。自転車がゆっくりと通過する
バクジャン駅前の大通り。自転車がゆっくりと通過する
 町の名はボハ(Bo Ha)。バクジャンの市街からは30キロほど離れているようだ。もっともこれは地図上での目算だから正確ではない。昼食後の12時過ぎ、決意してバクジャン駅のバイクタクシー・ドライバーのところに近づく
「どこだ?」先制攻撃をもらう。
(これから言うつもり)
「バクニンならすぐだ」
(それなら昨日までいた)
「安いぞ」
(本当にそうかな)
「中国人だろう?」
(やはり国籍で料金が変わるのか)

 結局30000ドンで合意する。国道1号線を北上するとケップ(Kep)という町――ここでかつて日本軍は飛行場の設営に従事した――があり、そこを左に折れて進むとボハに至る。これが僕の心積もりだった。ところがドライバーは近道したい欲求があったらしく、ケップの手前から農道に入ってしまった。

ボハの町に入る直前、橋を渡る。通行料1000ドン
ボハの町に入る直前、橋を渡る。通行料1000ドン
行けども泥濘の
 道路は、今朝がたからの雨を吸って泥濘と化していた。赤土が後輪から跳ね上げられ、僕の顔や手に飛びついてくる。全身に赤土の斑点ができる。車輪を取られそうになるのも一度や二度ではない。

 集落は水田の海に浮かぶ島のように見える。家々は赤土を使って焼き上げたレンガでつくられており、どれも小さい。道路には牛とニワトリ、そしで馬車が仲良く行く風景が続く。

ボハの町に程近いところの田園風景
ボハの町に程近いところの田園風景
 薪にする枝を満載して片足を交互につきながら自転車を漕ぐ女たち、牛の鼻面を引き、あぜ道を遠ざかる少年など、雨に煙って絵画的ですらある。
 ときどき十字架のついた墓を見る。遠くに教会の尖塔が望まれるから、このあたりにはカトリックの集落も珍しくないのかもしれない。

「大丈夫ですか」ドライバーに話しかける。泥濘が心配である。答えは決まって「大丈夫だ」
 だがドライバー本人がこの斜辺を選んだことを後悔しているのは明らかで、対向するバイク・ドライバーと諦めの口調で挨拶をしたりする。
「この先どう?」
「ああ、ひでえよ」
「そうか――」

ボハの町の風景。十字路がその中心にある
ボハの町の風景。十字路がその中心にある
 橋を越えてようやくボハに入る。1時間を要した。ドライバーとは3時半の再会を約して別れた。町の中心は小高い十字路である。雑貨屋、金物屋、貴金属店、インターネットショップ、そして学校や銀行が、この十字路から下るそれぞれの道に沿って並ぶ。人通りの少ない静かな町であり、僕という外国人にも無関心であるようだ。

60年前の日本人
 気の向くままに町外れの寺に入ってみると、川に面した斜面で草取りを終えた老女が2人いた。どう見積もっても70歳を越え、ひょっとしたら80歳以上かもしれない風貌である。

「こんにちは」
「……」
「60年前の1945年、ここに日本人がいましたか」出し抜けで愚かな質問だと思う。しかし来たからには聞かずにはいられない。
「……」老女たちは沈黙だ。
「日本人が4人、いましたか」

ボハの寺の門。古びているが、かすかに漢字は読み取れる
ボハの寺の門。古びているが、かすかに漢字は読み取れる
 2人はやかましく論じ合い、「いたよ」と口を揃えた。「いたよ、いたよ」そして近くの草地で牛に草を食ませていた中年の男を呼び、「ボハにいた日本人」について何かと打ち合わせるようである。この合間に「あんたはどこに泊まっているの」「学生なのか」などと質問してくる。

 牛飼いの招きでディン(注:Dinh。村落守護神の神社で、村民の集会所も兼ねる)に入った。テニスコートほどの大きさの内部に入ると黴臭い。右手奥に白熱球が灯されている。

 石の床にゴザを敷き、弱い灯りの下、車座になって70歳を越えた老人たちが札遊びに興じている。牛飼いはこの人たちに、60年前のことを知ろうと来た日本人のことを説明するのだ。ところが彼らは札遊びの方が大事だから、さして関心を払わないようである。

 線香のにおいが漂う。見上げる天井はかなり高く、梁には龍の彫り物がある。長いテーブルが老人たちの近くに置かれ、傍に木製のベッドがある。ここに寝泊りする堂守りのような人がいるにちがいない。僕に濃い茶を「飲みなよ」供してくれた老人がその人なのかもしれない。

 仔細に観察を進めると、「陰陽合徳」と書かれた扁額が天井から吊るされている。太鼓と銅鑼があったり、御神輿まで安置されていたりして、まさに中国文化圏である。

「日本人じゃない」
「日本人か。いたよ」円筒形の帽子をかぶる老人が、言った。彼は札遊びから面倒そうに顔を上げて、少し笑った。牛飼いがこの老人に改めて話しかけ、確認をとってくれるらしい。
「名前はわからないそうだけど」牛飼いが僕に言った。「そこにいるロンさんは、日本人がいたことを憶えているそうだよ」
 僕は何度も本当かと牛飼いに尋ねた。彼は彼で請け合ってくれるのだが、しつこい問答に業を煮やしたのか、札遊びの座から顔をこちらに向けて当のロンさんが怒鳴るように言う。

「日本人じゃない、ベトナム・モーイだっ」
(おおベトナム・モーイ、まさに「新ベトナム人」ではないか!)僕は心中に叫ぶ。
 当時の共産党政府は、残留した日本軍の将兵、日本の民間人に「新ベトナム人」の呼称を与え、独立戦争への貢献を促したという。

 ボハに新天地ベトナムに根付こうとして奮闘した日本人がいたことは、間違いのないことなのだ。僕は興奮した。
 余勢を駆って残留した人の名前を言ってみたが、こちらは記憶にないとのことだった。

 僕は外に出た。樹齢100有余年という木が川の前に立っている。
「この木はベトナム・モーイがここにいたときからあったのだ」牛飼いが感傷的なことを言う。あるいは僕の感傷的な面持ちを読んでいたのかもしれない。牛飼いの言う通りである。

ボハの老女たち。牛飼いは右から2人目
ボハの老女たち。牛飼いは右から2人目
 60年経っても変わらないものもあるだろう。例えば川の流れの緩やかさ、僕の目前で紙を破るような音をさせてニッパ椰子の葉を噛み千切る牛などは、変化の波にまだまだ抗う姿なのだと思う。
「日本人じゃない、か」僕は嬉しさを深々と吸い込み、ディンを離れた。「すごいなあ」

老女たち
 僕は最初に老女たちを見たところに戻った。長屋のような建物の軒先で、老女が3人、ゴザを敷いてこちらは茶飲み話に熱を上げている。僕を手招きした彼女らに甘えて茶を飲ませてもらう。

「サイゴンで何をしてるの」「家族はいるの」「結婚はまだか」いつも通りの質問攻めにされるも、適当に答えながら僕は老女の生態を興味深く見た。

老女たちが口にしているもの。中央右の鉈でこそげる
老女たちが口にしているもの。中央右の鉈でこそげる
 彼女らは一様に黒い歯を持ち、赤い唾を吐く。噛みつづけるキンマ(注:椰子の一種であるビンロウジを細かくし、石灰を薄く塗ったキンマの歯で巻き、それを噛む。しばらく噛んでから赤い汁を吐く。キンマは歯の健康によいと言われている)のせいであろうか。老女の1人が、建物の内部を案内してくれた。明かりがついたので、「法輪常轉」とある扁額も見えたし、雛壇式に仏像と聖人像の並ぶところも拝むことができた。

「ボハの人民委員会幹部に会ってみるか」
 牛飼いは僕にそう言ってくれたが、自分のベトナム語を考えて辞退した。しかし何と親切な人たちなのだろう。まったくありがたいことであり、最後に1枚、チュアの前で集合写真まで撮らせてくれた。
 チュアを離れるとき、牛飼いや老女たちの名前を聞かなかったことに気がついた。
 迂闊であった。

バクジャン宿泊データ
名前:Phuong Anh
料金:10万ドン
部屋の広さ:八畳程度
設備:エアコンなし。扇風機。温水シャワー
レセプション:気持ちのよいスポーツマン的青年たちばかり
一言:3日目、なぜかテレビがLGの新品に取り替えられていた

(VietnamGuide.com)

このページを友人に知らせる

記事一覧

ラックジャー(Rach Gia)――スターバックス! ( 2006/11/13 )

カマウ(Ca Mau)――少年たちの後方宙返り ( 2006/11/13 )

バクリュウ(Bac Lieu)――金玉満堂 ( 2006/11/11 )

ソクチャン(Soc Trang)――死ぬまで生きる豚 ( 2006/11/11 )

ヴィンロン(Vinh Long)――苦悶する男 ( 2006/11/10 )

ホアビン(Hoa Binh)――「少数民族」に会うために ( 2006/11/10 )

タムダオ(Tam Dao)――豪奢な避暑地 ( 2006/11/09 )

ヴィエッチー(Viet Tri)――牛車とお祭り騒ぎ ( 2006/11/09 )

トゥエンクワン(Tuyen Quang)――家に帰る老婆 ( 2006/11/08 )

バッカン(Bac Kan)――50円玉の水 ( 2006/11/08 )

  カテゴリ

  ベトナム最新情報
発火Galaxy7、越でなお売買
ダナンの工業団地を宅地化
試験管受精先進国ベトナム
ハノイでアジアのダンス公演
コシヒカリのライスミルク発売
5万人収容のスタジアム建設へ
KKR、マサンに2.5億ドル追加

  スポンサーサイト

  注目の話題

  Promotion
広告募集

© 2006 VietnamGuide.com. All Rights Reserved