家族旅行で、ハノイ発ダナン行きの便を利用した。大人7人と子供4人の大所帯だったので、代表で兄がチェックインし、搭乗券を受け取った。
おそらく大人数で係員の女性は慌てたのだろう、私たちの名前を何度も間違え、確認に手こずった。間もなく作業が終わり、遅れをとった私たちは出発ロビーへ急いだ。兄が1人ひとりに搭乗券を渡していると、私の分が足りないことに気付いた。私のパスポートには6歳の子供の写真も貼ってある。
だが子供の搭乗券は発行されたものの、私の分がない。すぐにチェックインカウンターに戻ったが、係員はすでにカウンターを閉じており、「ちゃんと確認しなかったからですよ」という言葉が返ってきた。わが子が1人で飛行機に乗ることを不安に思い、上司に会わせてほしいと頼んだ。しかしやって来た上司も航空会社の過失を認めず、次の便の予約をするよう告げた。
頭に来た私は、「航空会社と係員には何の過失もないの?」と詰問した。納得がいかないのは、子供の書類も私のパスポートに一緒にしてあるにもかかわらず、子供はチェックを通り、母親の私がはじかれた点だ。係員は先程より緊張した態度で、誰に過失があるのかはわからないと答えた。結局私は次の便を予約したが、怒りを抑えるのに必死だった。
間違いが起きるといつでも、双方の間で摩擦が生じる。だがどんな専門職にも求められるのは、客を責めることではなく、謝ることだ。謝罪の言葉は客にサービスを提供した側の責任を表し、慌てた客を落ち着かせるのに最も効果的である上に、文化的行動の表れでもある。だが係員も上司も謝らなかった。
ロンドンで目にしたある光景を、ふと思い出した。道の両側から歩いてきた急ぎ足の2人が、派手にぶつかった。にもかかわらず彼らの表情は穏やかで、互いに「すみません」と言った。よそ見をしていた人を怒らない、立ち止まって喧嘩もしない、野次馬の人だかりもできない。人々が謝ることを知っている世界、これが本当に安らかで平穏な世界ではないだろうか。