ロスタイムも残り30秒――タイゴール前で得たフリーキック。ミン・フオンの蹴ったボールはなめらかな軌跡を描いて飛び、そこにコン・ヴィンが頭であわせ、ボールがネットを揺らす――その瞬間、ハノイのミーディンスタジアムは「爆発」した。
49年ぶりの悲願を、確かにかなえた瞬間だった。ベトナムチームはこの日、初の東南アジア王者として、トロフィーを高々と掲げた。
時を遡ること49年前、ベトナムはバンコクでタイに勝利、1959年のSEAP Games初代王者となった。
時を遡ること10年前、ベトナムは宿敵タイに3?0で勝利し、初の東南アジア王者のその座に限りなく近づいた。しかしながら決勝戦で図らずもシンガポールに敗退した。
だがこの49年の時も、10年の時も、タイをその地で打ち負かし、震え上がらせた戦士たちをこのミーディンスタジアムに迎えるその日までの4日間ほど長くはなかった。この4日間、ベトナム全国のサッカーファン、そして選手たちは王手をかけたこの状態に、期待に胸をふくらませていった。
1959年のSEAP Games第1回大会で、バンコクでタイと決勝を闘い勝利したとはいえ、その頃はベトナムがまだ分断されていたときで、タイも当時は、地域のなかで経済的にも、サッカーでも取るに足らない存在だった。
AFF CUPの前身である1998年のTiger Cupは、黄金世代ともいえた選手たちを擁し、さらには地域の大会に再び加わるようになって初めて、予想しなかった結果で、タイに勝利した。
しかしこの4日間は長かった。まるでサッカーファンの忍耐が試されているかのようだった。この4日間、タイチームはなぜ自分たちが負けたのかと、ビデオを何度も何度も繰り返し見ただろう。この4日間、ベトナムの選手たちの心は軽かっただろうが、不安は一杯だったはずだ。タイは選手のバランスがとれ、実力があることを知っていたからだ。
その試合は驚きと言ってもよかった。タイが4日前のベトナムと同じ戦術で臨んできたからだ。そして21分、フリーキックからタイは1点を先制した。
だがベトナムチームの脚は止まらず、王手をかけた最後の試合をあきらめることはなかった。そんなベトナムの闘いにタイは、トラップをしかけるか、それとも延長戦かと考えた。いつもの彼らでなかったことは明らかだった。正確に言うなら、はじめてベトナムがタイをそこまで慎重にさせ、王手を取られた状態から反撃に出ることを躊躇させたのである。
だが終了間際のコン・ヴィンのゴールでミーディンスタジアムは狂喜乱舞のお祭り騒ぎとなった。グラウンドで選手たちが抱き合うのみならず、試合を見ていた誰もが抱き合い、新しい東南アジア王者に快哉を叫んだ。
49年前のあの選手たちは、もう何人が永遠の眠りについただろうか。
10年前のあの黄金世代の彼らは、幾人もがクラブの指導陣に入り、幾人もが若手育成を手がけている。
この4日間、人々は期待を胸に日々を送り、ひとつの夢を見ていた。そしてその大きな大きな夢はあの日、ベトナムチームによって叶えられた。
幾多のベトナム人の想いを昇華させ、その夢を現実のものとしてくれた選手たちよ、カリスト監督よ、ありがとう。
■ホーム&アウェー方式で行われたAFF SUZUKI CUP決勝戦は12月24日、バンコクでの第1戦でベトナムが2?1でタイに勝利、28日ハノイでの第2戦を1?1で引き分け、ベトナムが優勝した。初の東南アジア王者としてのメダルは、グエン・タン・ズン首相から直々に、選手たちの首にかけられた。