ハノイ市ザーラム県イエントゥオン村スアンズック村落は、急速な都市化によりすっかり変わった。舗装道路が整うとともに、社会悪も村に蔓延るようになった。
最近この地域の若者20人が次々と麻薬やHIV/AIDSで死亡した。少し離れた墓地に、彼らの墓があつまる区域がある。みな未婚の若い男性で、時々新しい墓が誕生し、白い花輪が添えられる。
ここはもともと、ドゥオン川向こうの静かな田舎の村だったが、今はかつての姿など微塵も感じられない。井戸や公会堂、畑は背の高いビルや商店の間に埋もれ、村人の多くが、住んでいる土地や畑を切り売りし、職を変えた。資金のある人は商売をはじめ、近くにできた工業団地や専門学校の従業員や学生向けの貸家を造った。ネットカフェやカラオケ、飲み屋、いかがわしいカフェなどが続々オープンし、時間を持て余していた村の若者たちは、あっという間に遊びの虜になった。
1カ月ほど前、第1集落に住むT(1979年生)が自殺した。麻薬をやめられないと悟ったTは手首を切り、ベッドの下に置いた盥に血が流れるままにして死んだ。母ハウさんは、呆然とした表情で語った。Tはランソンに商売に行く友達に誘われ、麻薬中毒になるまで頑なに両親に隠していた。母親がひそかに更正施設に申込み、公安が強制的に連れて行き、ようやくTは更正施設に行くことを受け入れたという。
「あの子は麻薬をやめることを固く決意していました。施設から戻ると、親戚にチェーンを作ってもらい、禁断症状が出てもどこにも行けないようきつく縛るよう皆に頼んでいました。でも麻薬中毒の友達の口笛や、外でバイクをふかす音が聞こえるだけで、あの子は立ち上がり、どうやっても止められませんでした」。
彼女は息子を2回更正施設に入れたが、麻薬から脱け出せず、さらにHIVにも感染した。畑を売り払って一人息子の面倒を見たが、最後に息子は、自分の面倒をみなければならない両親を思い、死を選んだ。
70歳になるヴィさんも息子に先立たれた。死期が近づいたころ、息子は彼女にこう言った「もうお母さんには隠せない。僕は注射の回し打ちでHIVにかかったんだ」。
村落公安フエ氏は悔しそうに言う。「村落が街になったとき、村の男たちは勉強もせず、誘い合って麻薬で遊ぶのがカッコいいと思っていたんです」。誘いあっているうちにHIVも広がった。この2年間、村落内では20人の未婚男性が麻薬で死んだ。
HIV/AIDSで死に、葬式が行われても、数人が遠くで静かに立っているだけで、参列するものはいない。彼らを葬った場所は「白い墓地(白は麻薬の色)」と呼ばれるようになった。墓穴は通常より2倍深く掘られ、コンクリートを厚く流し込み頑丈に作られた。埋葬後はコンクリートで密閉し、改葬は決して行わない。親族の意向により、これらの墓は災いが広まらないよう孤立して立てられている。