北部タインホア省のタインラム少年院には、殺人や窃盗、児童わいせつ、傷害などの罪で50人以上の少年が収容されている。
彼らの会話や行動には背筋も凍るほどだが、少年院のファム・ドゥック・チャン管理局長は、収監されている少年たちのあまりの幼さに心が痛むと語る。ベトナムの人口が若いことも理由の一つだが、伝統的な家庭での教育が、急速な暮らしの変化により失われつつあるためだと彼は言う。
人格形成期にある少年たちの行動を理解するのは難しい。常時落ち着きなく跳び回り、停電ともなれば2派閥に分かれ殴り合いを始め、教官たちが取り押さえ、警報を鳴らさざるを得ない。ある時はサッカーボールを縫っている最中、ある時は学習中に突如、ナイフを取り出し戦い始める。目つきひとつで流血騒ぎともなりかねない。
あるベテラン教官は、罪を犯す青少年たちの世界は想像を絶していると言う。田舎に帰り13?14歳の少年にからかわれても、いつどんな方法で殺されるか分からないため、ただ背を向けて去っている。
気立ても身なりもきちんとしたロックを見ても、誰も彼が罪を犯したとは思わないだろう。母親はかつてハノイ市の新聞社で働き、父親は建設会社の副社長をしていた。裕福だったが両親は仕事で頭が一杯で、ロックは、幼い頃から遊びまわっていた。
彼は2007年、16歳の誕生日から数日後にタインラム少年院に収容された。それまでにも、少年院送致こそ免れたものの、公安省の更生施設に入っていたことがある。
ロックは、友人たちと起こしたバイクの窃盗で捕まった。「惜しかった。高いSHを盗もうとしたのに間違えて200万ドン(約125ドル)にしかならない中国Waveを盗んじまった。友達の家でテレビを見ているときに捕まったんだ」。
これまで学校で一体何を学んできたのか、彼の知識は17歳とはとても思えないものだった。父親の会社がどんな官庁に属するかと尋ねると、「何ていったらいいかな、何省かは全然知らないよ。母さんの会社の記者たちと旅行をして知り合いはいるけど、新聞なんて読まないしね」。しかし、麻薬については驚くほど詳しい。
ロックの両親は、彼が悪友たちから離れることを願い、幾度となく転校させたが、どこへ行っても状況は変わらなかった。
「親はいつも俺が家出しないよう家に閉じ込めるけど、それでも遊びに行くよ。クスリを噛むのは歯が痛いからあんまり好きじゃない」。麻薬を使っている友人たちが、変貌するのを見るのが好きだという。バイクで路上レースをするのが好きで、麻薬を使って疾走すればするほど、自分が遅く走っていると感じるという。
ディスコへ行っても大音量なほど小さく聞こえ、スピーカーに抱きついて踊り狂う。麻薬を使うと何でも美味しく感じ、満腹になることを知らないという。最後にロックはこう愚痴を漏らした。「父さんは毎日数十万ドンくれるけど、全然足りないから盗みに行くんだ」。
1993年生まれのトゥンは2007年、14歳の頃に6歳女児に対する強姦罪で少年院に収容された。親戚の子供といつもアダルトビデオを見ており、その日も見終わり、関係を持てる人を探して近くの家に行くと、女の子がついて来た。
トゥンが女の子を抱き上げことを始めていると、帰宅した女の子の母親に見つかり何発か殴られた。トゥンは走って逃げ、話はそれで終わったものと思い畑に出て知り合いと酒を飲んでいるところに警察が来て捕まった。
トゥンによると、地元ではアダルトCDと安いDVDプレーヤーを買い、みんなで集まって見ては、中高年の知人男性たちについて村中にあるという売春宿に行くという。
その知人男性たちはコンドームの使い方を教えてくれたかという問いに、トゥンは周囲の教官を見回し「使わない。エイズの検査もしたことない。どうしてここでも検査しないのかな」と言った。
少年たちの中には、父親か母親が服役中の場合も多く、父は刑務所に入所中で、母親が出所した晩に母親と一緒に食事をしたくなかった子供が強盗殺人をしたケースもある。
少年院の収容年齢を過ぎ刑務所に移される人もいる。強姦罪で捕まった金髪でまだ幼い顔つきの少女ニュンもその1人だ。
彼女はチャットで知り合った男たちと一緒に、女の子たちを安宿に連れ込み、乱交していた。ニュンは男たちと一緒になり、抵抗した14歳の女の子を脅し、手足を押さえ行為を幇助した。
私が身震いした、少年たちの背筋が凍るような話はいったい何なのだろうか。大人たちの無意識の行動が、少年たちの犯罪の道引きをしているのかもしれない。
13歳のトゥンと一緒にアダルトCDを見ては、売春宿に連れて行った中高年の男性たちこそ問われるべきなのではないか。彼らの地元が売春宿で溢れるのはなぜか、彼らの話の裏に何があるのか。
少年院を去ろうとする私に、「僕の起こした事件の方が凶悪だよ」とインタビューをせがむ少年たちの姿に、また身震いを感じた。