私はパソコン中毒者の類に入るのだろう。パソコンを始めたのは1979年、アメリカで町の警察副署長をしていたときのことだ。今では技術は格段に進歩し、インターネットは情報収集に欠かせないツールとなった。
ベトナムに来てから、よく見るウェブサイトのひとつにホーチミン市人民委員会のものがある。そこには様々な情報があるのだが、交通に関する話題のこんな一言に目がとまった。
「みなさんもバイクを運転すれば、ベトナム人女性の美しさを実感できるでしょう」。ベトナム人女性が世界で最も美しいことは知っていたし、きっと誰もが気づいているだろう。しかしだからといって、公的機関のサイトにこんなことが書いてあるとは予想だにしなかった。
ある日、担当する大学の英語の講義で日常生活上の不便について話合うと、学生達は次々に、交通渋滞について不満を口にし、時間の無駄、会社や学校に遅刻する、約束に遅れるといったことだけにとどまらず、物流への影響、生産能力の低下、燃料の浪費、環境汚染などあらゆる意見が出された。
ひと通り意見が出揃ったところで「先生は渋滞が好きなんだけどね」と言うと、学生らは目を丸くしてこう言う「Are you crazy?」。
私は最近1冊の小説を上梓したのだが、それを手にとっていただければ、私が渋滞を愛してやまない理由がおわかりいただけるだろう。
渋滞に巻き込まれたときにふと辺りを見回すと、長い黒髪を背中に垂らした女性達に囲まれていることに気づく。帽子とマスクの隙間からのぞくキラキラした黒い瞳が私のハートをドキッとさせる。
その眼差しはきょろきょろと通りの店を走り、近くのバイクを眺め、信号を見つめ、警察を捉える。時には私と目があうこともあり、そんな時に私は思いっきりスマイル、微笑み返しがくれば、私はまるでコーヒーの中の氷のように溶けてしまう。
この話を聞いた学生達は、「そう考えると渋滞も悪くないですね。今度渋滞につかまったら、先生の言ったことを思い出すようにします」と言った。
そこまでは良かった。だがそれ以降、遅刻する学生達が堂々と「渋滞で遅れました」と言うようになってしまったのは想定外だった。
私にとっての渋滞は、じっくり美女を鑑賞する時間というだけでなく、考え事をしたり、自分を見つめ直したりするちょっとしたリフレッシュタイムでもある。忙しい生活にぽっかりあいたスローな時間、私はその点で渋滞に感謝している。