ベトナムの教育目的は出世に向けて学位を得るため――そんな声がある。このような間違った目的から、ほぼ毎年、社会全体で学生の入学試験に力が入る。多くの時間を要し、最も労力が求められるのは、高校の卒業試験と大学入試だ。
卒業試験は毎年3月、教育訓練省により試験科目が発表される。試験対象でない科目は「ボイコット」同然で、みな試験科目だけ力を入れる。全ての主要科目でテストをすべきという意見は多いが、誰も耳を貸さない。
試験の季節になると、生徒、保護者、教師、学校は復習に必死になる。朝から晩まで勉強するが、結局は学校や教師の実績のため、そして、生徒の人生で最低限必要になる「通行証」をどう取得するかが目的となっている。
目的達成のためには、カンニングだってする。カンニング用具は精巧さを増し、1セット2万?5万ドン(約1?2.5ドル)で売られている。よって、僻地を含む多くの地方で卒業率は90%を超える。この数字を信じる人はごくわずかだが、この数字は受け入れられている。大学入試はさらに厳しいが、学習方法や試験、費やす時間、お金、労力は高校の卒業試験と変わらない。
世界の学習目的は、理解し、実行し、人として、そして他者と共存するためである。現在のベトナムのように試験のためだけの学習は、教育の目標・効果に多くの害を与える。
(読者ファン・チョン・ヒエンさん)