日本人は1月の初めにお正月を迎える。年末には家や車の掃除をする習わしで、Nagakoさんが大阪にあるユニバーサルスタジオに連れて行ってくれている間に、彼女の両親は大掃除をしていたようだった。1日を楽しく過ごし帰ってみると家はピッカピカ。玄関には、魔除けと新年の幸福を願う、わらと布で出来たしめ縄が飾ってあった。
大晦日は新年を迎える準備をする日だ。Nagakoさんのお母さんは早起きし、おせちと呼ばれる伝統的な正月料理を作る。おせちは13種にも上り、一部はその前から準備している。
よそ者の私は、皿洗いをしたり、珍しい料理の作り方を見るだけ。おいしそうで美しい料理を、いつかは自分で家族や友人のために作れるようになりたいと思う。
料理はすぐにお重と呼ばれる漆塗りの箱に並べられる。おせち作りは夜までかかり、その日は、新年も健康で長生きできるようにとの願いを込め、そばを食べて締めくくる。聞こえるのはそばをすする音だけ。静かな時間の中で私は、家族と笑いながらちまきやお年玉袋の準備をしたベトナムのテト(旧正月)を懐かしく思い出した。
ベトナムと同様、日本人も大晦日は夜通し起きて新年を迎える。家族皆で、午後7時から12時近くまで「紅白歌合戦」という歌番組を見る。花火の音は聞こえないが、テレビでは大勢の人が押し合いへし合いして神社や寺に初詣に行く姿があった。
元旦の朝には、前日に準備したおせちを頂く。食べる前に、甘みのある軽いお酒、おとそを飲む。おせちを食べながら、しょうゆ、砂糖、酒を混ぜたスープの一種で、餅、きのこ、ねぎが入っているお雑煮をすする。面白いのは、元旦の朝に新年を祝うカードが家族それぞれに送られてくることだ。数百枚受け取る人もおり、受け取った人は感謝と新年を祝うために、相手にも送らなければならない。
朝食後、Nagakoさんの家族と一緒に家の近くにある八坂神社に行った。日本のお正月は静かで、お互いが新年を祝いあい、大人は子供にお年玉をあげる。
昼近くになり、皆で有名な港町・神戸へ行った。観光も兼ねていたが、主な目的は一人で暮らすNagakoさんの祖母を訪ねることだ。75歳という歳より若く見える祖母は面白い人で、自分の孫のように接してくれた。そこでもおせちを頂き、有名な神戸牛も初めて産地でいただけた。最も感激したのは、Nagakoさんの祖母が書法の本をプレゼントしてくれたことだ。お年玉までもらい、数日後開けてみると8,000円入っていた。8には幸運の意味がある。
1月2日、Nagakoさんの家族が大阪に近い西宮にある大きな神社へ連れて行ってくれた。道の両側に飲食物を売る店が並び、人の多さと賑やかさに驚いた。射撃や新年を占うおみくじもあり、引いてみるとあまり良くないとされる「凶」。慣例では、おみくじの結果が良くなければ神社内に結び付けなければならないとされているが、私は記念に持って帰った。
学校が始まるため別府に帰る日がやってきた。大阪、京都、神戸に行ったNagakoさんの家族との5日間は、日本のお正月を理解するには短いものだった。ベトナムのテトを思い出したが、それ以上にNagakoさんの家族は故郷を離れている私に温かい時間を過ごさせてくれた。