サッカーは今日、世界で最も浸透しているスポーツといえる。今年、オーストリアとスイスで開催されるEuro(欧州選手権)は、4年に1度ベトナムのサッカーファンを熱狂させて止まない大会だ。
ベトナムのように、分け隔てなくサッカーを愛する国は珍しいかもしれない。前回のEuro 2004でオランダとフランスに行く機会があった。両国のサポーターとも自国の試合だけに熱狂し、他国の試合にはあまり関心を示していなかった。
しかしベトナムは違う。ワールドカップに出場できるのもいつになることやら分からないが、ベトナム人は自国が参加しないにもかかわらず、ヨーロッパの戦いを観戦するため夜更かしも厭わない。
サッカーは緊張の緩和や後退を認めない芸術である。自分自身を超越し、人間の潜在能力を発揮するもので、個人と集団の利益が調和し、個人が集団の勝利に貢献すると同時に自分を体現できる、それがサッカーだ。
この理論が労働に応用されるなら、素晴らしいものがもたらされるだろう。サッカーでは集団は決して個人を圧迫しない。一方で個人にとっては非利己的に自分を体現するための学習の場となる。サッカーをする際に「みんなが存在してこその自分」を理解しないのなら、勝つことはできない。
長年にわたる観察により、サッカーは個人と集団間の役割の調和、そしてその調和のなかで、個人の才能が輝かしく実っていくものだと私は思う。特にヨーロッパのサッカーは、最も明確にこの調和理論を体現している。新しい戦術や考え方、戦いは日々成長を続け、選手の才能も伸びている。
シンチャオEuro 2008! 全ての人に栄光あれ!